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2015年7月1日水曜日

グローバリゼーションの影響力





こんにちは。GICスタッフのYumaです。


いま日本ではどこにいても「英語が必要だ!」と叫ばれています。
大学では英語資格をとることに必死な学生がいれば、昇給を目指してTOEICの勉強をがんばっているサラリーマンもいます。

文部科学省ではいま全大学の入試試験でTOEFLを導入するかどうか審議されてさえいます。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H1H_U4A021C1EA2000/

ですが、よく考えてほしいのは仕事をのぞいて日常生活で英語が必要になる場面はほとんどないということです。

そうです。
正直言って、いまのところ日本で人生を送るかぎり英語はほとんど必要ありません。

それなのになぜ日本人は「英語が必要だ!」と思うのでしょうか。
メディアの影響や憧れの部分を差し引けば、いったい何人の人が、「自分は○○のために英語を身につけようとしている」と答えられるでしょうか。

ここでは現在日本で生活するなかでどういった場面で英語が必要とされているかを見ていき、そこから日本とグローバリゼーションの関係性について書いていきます。


1.仕事上のコミュニケーション
会社の取引先が外国企業なので英語が必要であったり、社内の公用語が英語で統一されていたり、さまざまな理由で仕事上英語が必要とされています。

しかし日本で英語が必要な会社はまだまだ圧倒的少数派だと思います。
ユニクロや楽天といった企業が社内の公用語を英語にしましたが、共通言語を変えるということは並大抵の作業ではありません。また、こういった企業は主に海外でも事業展開している企業で、公用語を英語に変更することで起こる移行措置にじゅうぶん資金や労力を割くことができます。
英語が生活レベルでまったく浸透していない日本で一般の企業の公用語が英語になることは可能性として低いでしょう。

また国内市場がちいさい韓国とちがってまだまだ経済が国内だけでも回る日本では、海外に事業展開する機会が少なく、仕事上のコミュニケーションで英語が必要とされる場面は多くありません。

さらに英語が必要だとしても、それはとても限定されたビジネス用の英語です。流暢に話せる必要はないし、また映画やニュースで流れる英語がわからなくても当然です。ある程度の会話ができればそれで仕事はできます。

「日常生活で英語を使いたい」というのではないかぎり、上級英語は必要ないのです。

観光業や外国人向けのサービスのために英語が使用される頻度はたしかに増えました。しかし観光客のすべての人が英語を話すわけではありません。大阪ではいま心斎橋やなんば、梅田にはたくさんの中国人観光客が見られます。彼らとコミュニケーションをとるために英語より中国語を話せる人をより優先して採用する企業もあります。

グローバリゼーションとは大きな規模での文化間さらには人種間の交流のことです。
そこに偶然「英語」が利便性が高いというだけでたびたび共通言語としてとりあげられているだけのことなのです。なので「グローバリゼーション」=「英語が必要だ!」というのは明らかに誤解であり、その等式を壊すことによってもう一度なんのために英語を学びたいのかを考えることが重要です。


2.旅行客との会話
あなたはいままで外国人観光客と話す機会をもったことがありますか?
あるいは外国人に道をたずねられたことがありますか?
 
「ちゃんと英語を話せなかった~」
「英語勉強しなあかんわ~」

そう思ったことはありますか?
 「ちゃんと話す」というのはまるでネイティブ同士が会話をするようにペラペラと話すことだと思っていませんか?

もしそうだとしたら、その幻想は捨ててしまったほうがいいでしょう。

言語教育学では、0~10歳までの期間は「言語形成期」と呼ばれています。
このあいだに人間は言語を「体験的に」習得します。そして10歳を過ぎると「体験的に」言語を習得する能力は衰えていき、反対に「理論的に」言語を習得するようになります。
つまり年を重ねれば重ねるほど言語の習得はむずかしくなるといっても過言ではありません。

言語は人間だけがもつ特殊な能力です。
多くの時間を費やし、多くの経験によって習得されるもので、少し勉強したからといって完璧に身につけられるものではありません。

完璧に言語を習得することが言語学習だと考えているのであればいますぐにそう考えていることをやめ、グローバル化する世界ではどういった「英語」が求められているか発見し、それを身につけることが大事です。

これからは観光客だけでなく、留学生や外国人労働者が増えていきます。
国境や国籍を超えて人が交流する機会は日本でもこれからどんどん多くなっていきます。

中学校や高校の英語教育だけではまったく話せない日本人が、こういった世界的変化にどうのように対応していくのでしょうか?
政府の政策では国民が英語を身につけることは絶望的であり、もはや個人レベルでの問題になってきているようにみえます。

私たちはいったいなにを目指して「グローバリゼーション」に対応しようとしているのでしょうか?



このように、必要とされている「英語」は部分的なものであり、かならずしも一般的にイメージされるような英語ではないことがわかります。

日本人が習得すべき「英語」はやがてつぎの時代の主流となるアイデアの核となるものであり、それを身につけることによって「グローバリゼーション」に対応することができるようになります。


日本とグローバリゼーションの関係性をもう少しくわしく分析します。

現在、日本と世界のあいだには深い溝があるように思います。
若者は海外に出なくなり、新しい挑戦をすることをしなくなりました。

ノーベル賞受賞者の白川英樹さんと根岸英一さんのこの懸念を裏づけるように、
過去10年で海外に出る青年は34%減と著しく下降しています。
(参考ブログ「なぜ若者は海外に出て武者修行しないのか」)

日本は国境上開いた国ではありますが、精神的にはほとんど鎖国にちかい状態と言えるかもしれません。
日本がいちばんいい、心地いい、らくだ、というのは事実かもしれません。ですがコンフォート・ゾーンでだらだらと生きていも、人間として成長できません。

日本の頭上ではグローバリゼーションという響きのいい言葉が鳴っていて、メディアはこぞって海外を魅力的に紹介したり、英語の必要性を説いたりします。


個人的な話ですが、僕は数年前バンクーバーに滞在していました。
そしてそこで9ヶ月ほど生活しました。
ホームステイ・ファミリーはフィリピン人、ルームメイトはヨーロッパ人や南米人、 街に出れば白人が大多数で、つぎにアジア人という環境でした。

会話はすべて英語、見るものすべて英語(アラビア語とかもありましたが)、買い物も英語。
そういった環境に身を置けたことはとても貴重な体験でした。

そこでたくさんの日本人と出会いました。
ほんとうにたくさんの日本人たちです。

学校で勉強することをのぞけば、日本語で話すだけで生活できなくもない状況でした。
ですが僕は日本人とつるむことを目的としていませんでしたので、できるだけ日本人といっしょにいないように気をつけました。

一方で多くの日本人たちは日本人とつるんでいました。
僕は日本人としてとても悲しい思いをしたのをよく覚えています。

日本の外に出てきているのに海外の生活を送ろうとせず、日本での暮らしの延長線上で生活を送っているようでした。

それでは日本で暮らしながら英会話学校に通っているのと変わりがありません。
わざわざ海外に出てくる必要などないし、お金を無駄にすることもありません。

なぜ、彼らはそういった生活を送っていたのでしょうか?

いままでやってきたことに慣れていて、らくだからです。
逆に言えば、コンフォート・ゾーンから出たがらなかったのです。

つまり、身に染みついた「日本人性」 を変えたがらなかったのです。


くりかえしになりますが、グローバリゼーションとは大きな規模での文化間さらには人種間の交流のことです。

「交流」が意味するところは「感性の変容」と言いかえることができます。
日本人として「あたりまえ」と考えていることがそうではないことを知り、普通・通常だと考えられている考え方がそうでないことを理解することです。

驚き、認知、苦しみ、そういったものを経て、人ははじめて自分の世界の外のことを受け入れます。
それがグローバリゼーションの醍醐味です。


歴史上、日本人は国を侵略されたことは一度もありませんし、文化を破壊されたこともありません。何千年ものあいだ単一民族として存続し、独自の文明を築いてきました。そうでないほかの国々とくらべて、独特でないわけがありません。

「日本人」というだけで、世界ではすでに偏っているのです。

その偏りは悪いように捉えることができますし、いいように捉えることもできます。
それはその人次第です。

僕の職場はアメリカ人であふれています。 自分のちょっとした意見でも、「日本人はそう考えるんだ!」「やはり日本人らしい考え方だなぁ」と言われることはしょっちゅうあります。

反対に、いまの大多数の日本人は「日本人」であることを必死に守ろうとしている気がします。
たしかにそれはいいことだと思います。ですが、外の文化にふれることによって「日本人」とはなにか?と考えさせられたり、ほんとうに良質で大切なものはなにかとはっきりと知覚させられます。そういうふうにして、「日本人」というものがさらに浮き彫りになってくるのです。

もちろんここまで感じるのにつらく長い月日を過ごしました。英語でもたくさん苦しめられました。
でも、ふりかえってみるとほんとうにとてもいい経験でした。
なによりも自分のことをより深く理解できるようになったと思います。



話が長くなりましたが、まとめるとこうです。
日本と世界のあいだには深い溝がある。

グローバリゼーションがいますぐ致命的に日本に影響することはないし、またそれに関係があるのは日本の外に出ても堂々としていられる一部の人たちだけです。

日本では依然として日本人のやり方だけで物事は進められていくだろうし、世界はいつまで経っても混ざることのない、日本の外にあるものであると認識されつづけるでしょう。


ということは英語を学ばなくても全然いいということでしょうか?
いまのところは、そうかもしれません。

ですが状況は刻一刻と変わっていきます。
グローバリゼーションが日本に染みこみ、私たちのまわりの環境が著しく変わっていくのは時間の問題です。

では、ちかい将来グローバリゼーションによってどんなことが起こってくるのか?
日本で起こっている出来事をふくめ、次回はその点について書いてみたいと思います。






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