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2015年10月26日月曜日

いろんな英語があるなっていうお話



copy right common creative


こんにちは。GICスタッフのYumaです。

秋になって少し寒くなってきたかと思えば、
日中は半袖でもいいくらい暑かったり、
今日は白い息が出てきそうなほど冷たかったり、
謎な気候ですね。

風邪を引かないようにお気をつけください。


さて、最近感じたことがあります。

GICスタッフとして英語には毎日ふれますが、
正直なところ英語を「学ぶ」という点では不十分だということです。

たしかに一日じゅう英語で記事を読んだりメールを書いたり、
聞くのも話すのも英語なので楽しいことは楽しいです。

この環境をうらやましがられたりすることもあります。

が、それでも自動的にネイティブと同じくらい
スラスラ話せたり聞いて理解することはできません。

なぜでしょうか?

もちろんはじめは苦労しました。
慣れない文字を見つづけたり、
慣れない言葉を聞きつづけたりすることは、
とてもストレスですし、いやになることもありました。

しかしある程度の月日が経ってくると慣れてきます。
慣れてくると英語がのびているように感じてだんだん得意になっていきます。

でもそこからまたしばらく経つと、
ある地点からのびなくなりました。

ぱったりと上達しなくなったんです。

そういう時期か?と思いながらしばらく待ってみましたが、
それでもなかなか頭打ちした状態は改善されません。

「やっぱり海外に行かないとネイティブと同じくらいにはなれないのかなぁ」
と思うようになりました。

そして真剣に海外に移住したろうかな、とも考えました。
(どうしてもネイティブみたいになりたいという底のない願望があるんです…)

でもどうして海外に行けばそういう状態が改善されて、
日本にいては改善されないような事態が起こるんだろう?と思いました。

はたして自分はいったいなにを求めているのか?
「ネイティブみたいになりたい」の実態を今回考えてみることにしました。



「ネイティブみたいになりたい!」

英語が好きで、英語を学んでいる人であれば、
一度は思ってみたことがあるんじゃないでしょうか?

COCO塾のコマーシャルの伊勢谷友介みたいにペラペラ話せたら、
きっとモテるだろうなぁ。
(You know how important the roses are! For a woman to say "Yes"!)

将来はアメリカ人と結婚したい。
英語が話せたらいい仕事に就ける。

そんなふうに考えている方もいらっしゃると思います。

僕もどちらかというとそういう方面から英語を学びはじめました。
モテたい、格好良くなりたい、英語をペラペラ話すイカした仕事に就きたい。

そのために必死に勉強してきました。
いまも勉強しつづけてます。

だけどどうしても目を背けられない事実の壁が前にあります。
そう、自分はしょせん日本人という壁です。

日本語で考え、日本語でできたからだに英語が完璧に備わるはずがないんです。
まずはその事実を認めなければいけません。
(でなければ学べることも学べません。学習の基本的な姿勢は素直であることが重要です。)


さて、一口に「英語」と言ってもさまざまです。

中学校や高校で学ぶ「受験英語」。
TOEICなどで広まっている「ビジネス英語」。
TOEFLやIELTSのような「学術英語」。
それ以外にスピード・ラーニングのような「話す英語」「聞く英語」、いわゆる「日常英語」ですね。

いろんなカテゴリがありますね。
僕は必死に努力して数年前に英検1級を取得しました。

英検1級取れば「ビジネス英語」も「学術英語」も「日常英語」もカバーできるだろう、
というかネイティブくらいペラペラしゃべれるようになれんじゃないの? とたかをくくっていましたが、いやはや。

全然スラスラ話せないやん。

英検1級もしょせん「受験英語」の延長でした。
出題された単語のほとんどの役立たずのまま記憶のごみとなりました。
(そもそもネイティブすら知らない単語を出す英検1級の目的はなんなのだろう?)

英検1級取得を目指している人には申し訳ありませんが、
英語圏の大学で大学院博士号くらい取るのを考えてる人くらいにしか役に立ちません。
(それでも大学院博士号なんていう専門性の高い分野で使われる英検1級の知識はほんの一部だと思います。)


最近Facebookのフィードを読んでいるとある友人がこんな記事をシェアしてました。
京大学長『京大生よ、日本語で考えよ、英語はツールでしかない』

ある意味で正論だと思います。
私たちはしょせん日本人という事実にも符合します。

ネイティブと同じように英語を扱おうとするなんて夢のまた夢。
英語は情報を得たり、かんたんな話で外国人とコミュニケーションを取るためのツール。
それ以上でも、それ以下でもない。

でも、と思います。
京大の学長なんていうお偉い方に反論するわけではありませんが、
彼が言っているツールの英語はあくまでもツールとしての英語です。
昨今騒がれている「グローバリゼーション」といったものとは
ほとんど関係がないような気さえします。

なので京大生でない人が「そっか!英語はツールとして考えなくちゃ!」
と考えてしまうのは早計だと思います。

京大のような学術機関に必要なのは高度な論理能力であったり、
目前の問題をどのように解くべきかのクリエイティブネスです。

いくらグローバル人材を育てようともその根幹は変わりません。
京大の学長が言いたいのは「学術英語」を極めよ、ということなのではないでしょうか。


ところで僕は「英語はツール!」と言いたかったタチの人間だったのですが、
どうしても自分が妥協しているようにしか聞こえませんでした。
自分はしょせん日本人、も同じですが。


そこで高度なレベルで英語を扱えることには大きなメリットがあるのか、
また自分はどの英語を学ぶべきか?を考えました。

「受験英語」「ビジネス英語」「学術英語」「日常英語」
いろんな英語がありますが、結局ネイティブならどのカテゴリでも、
完璧とは言わないまでもある程度まで網羅しているものじゃないのか?
そんなふうに考えました。

すごく大雑把に書くとこんな感じでしょうか?
もちろん「学術英語」は「ビジネス英語」と重なり合っていたり、
「受験英語」が「学術英語」に重なり合っていたりします。

そもそも、言語に境界なんてありません。
(絵まで描いておいてこんなこと言ってすいません。)

とにかく!
ネイティブなら日常的に「読む」「聞く」「話す」「書く」ということに問題はありません。
そして人によってビジネス英語に特化していたり学術英語に特化していたりします。

たとえば学術英語で高いレベルで英語を扱えることは、
あなたが学者であれば非常に有利だと思います。

だけど学術英語はしばしば「読む」に焦点を当てます。
そのため非常に多くの単語は知っているが、
口が話すのに慣れていない、耳が聞くのに慣れていないといった事態が起きます。

でも問題はありません。
英文の論文を読んで理解できて、世界的な学会の動きがわかればいいんです。
京大生に必要なのはそういった英語をツールとして得る情報的本質だけです。


でも私たちのほとんどは京大生ではありません。
ならどういった英語を学ぶべきでしょうか?

一番てっとり早いのは自分の目的をはっきりさせることです。

「学術英語」を極めたいなら「日常英語」はそれほど必要ない。
「ビジネス英語」を学ぶのは大事だけど、コミュニケーションも重要なので、
「日常英語」も学んでおかないといけない。


自分にいまなにが必要なのか?
「読む」なのか?
「聞く」なのか?
「話す」なのか?
「書く」なのか?

それがわからなければいつまでも同じところをくるくる回ることになります。


さて、英検1級まで取得して「受験英語」を極めた僕ですが、
この「日常英語」の分野に関しては非常に経験の乏しい人間でした。
(やっていたのは「受験英語」を極端に身につけることでした。明後日の方向に英語が身についていたんですね。図の受験英語の右をずっと伸ばしてました。笑)

外国人を前にすると文法的に正しい英語を話しているのか気になる。
自分の言っていることがきちんと意味を成しているのか気になる。
まるでレッド・カーペットの上を歩いているみたいに自分の英語を気にしてました。

さっさと先に進むために言いますが、
まわりの人はたいていあなたの英語なんて気にしていません。
とくに外国人は。

日本人にはとくにあなたの英語を笑ったりする人がいるでしょう。

もしそんな人がいたら、
その人はきっと傲慢な心のせいでさみしい人生を送っている人です。
そういった人とは仲良くならないようにしましょう。

さっきも言いましたが、
英語を上達させるのに大切なのは素直であることです。


英語をまちがえたからって、
発音が変だからって、
恥に感じることはありません。
上達のための大切なステップです。


「ネイティブみたいになりたい!」と切望していた僕ですが、
大事なのは英語を自分の生活の中心に置くことでした。

ネイティブがそうするように本を「読み」、
ネイティブがそうするように洋画を「聞き」、
ネイティブがそうするように外国人の友人と「話し」、
ネイティブがそうするように英語で日誌を「書く」。

そうするために正統な方法というものはありません。

スピード・ラーニングやそういった類いの教材もある程度までは役に立ちますが、
生きている言語を修得するためにはやはり生身の外国人とやりとりして、
本物の感覚を身につけなければなりません。

生身の外国人は確保した、
でも本物の感覚を身につけるためにどうすればいいだろう?

「外国人」になりきりましょう。

私はアメリカ人。
僕はイギリス人。
あるいはオーストラリア人。

そう思い込むことが大切です。


なぜか!
脳を「英語脳」にするためです。


…「英語脳」って?


長くなったので今回はここまで。



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